野球は変わるのか?

新コロナの影響で野球は変わるのか?

新コロナウイルス感染の拡大は一頃よりおさまりそうな気配ではあります。しかし、たとえ一応の収束があったとしても、今後の第二波に備えて当分ソーシャルディスタンスをはじめとしたいろいろな“新しい日常”という形は、続けなくてはいけないでしょう。

観戦の形

いつまでかはわからないが、無観客の形式が解除されたとしても、その次はやはりスタンドはソーシャルディスタンスを確保しなければならない時期は相当続くだろう。となると、スタンドの観客数は満員のせいぜい3分の1ぐらいになってしまうと考えられます。

日本独特の鳴り物と選手の応援歌をしじゅう歌っている応援のスタイルもないことになるか。ま、私は正直言えば、これを機になくなってほしいという気もしている。

プレーの形

MLBを見ていると、選手がひまわりの種をベンチ内、フィールド上を問わずしじゅう吐き散らしているが、あれは禁止となるらしい。ひまわりの種でなくとも、アメリカの選手はしじゅう唾を吐いているが、それも当然NGになるはずだ。

それと乱闘も禁止か。もともとそれがルールで許されていることではないが、おそらく今までよりも厳罰の対象になるのだろう。何せ、大勢の選手が寄り集まってくんずほぐれつなんて、とんでもない。今、日本の練習試合風景を見ると、ホームランを打ってベンチ前でハイタッチするのも実際には手を合わせない“エアタッチ”にしているし。

収益大幅減は避けられない?

何せ入場者数が半分以下だから、それだけで多大な影響があるわけですが、当分観客の飲食も禁止となるという。スタンドやスタンド裏の売店での飲食物の売上は重要な要素のはずだが、これは大きな打撃だろう。

テレビ視聴率は上がる?

単純に考えれば、無観客の期間はもちろん、その後も球場で見られる人数が制限されてしまえば、テレビやネット中継でしか見ることはできない。一頃、日本では巨人戦が毎晩地上波のキー局で放送されていて、高い視聴率を誇っていた時代があった。それ並みにはいかないだろうが、少なくとも視聴するファンは増えるかもしれない。

いや、しかしもともと球場で何万人が見ているとしても、それは一部のはずで大部分はテレビ観戦だったのだろうから、やはり視聴率のアップは割合としてはさほど上がるものではないのかもしれない。

選手の年俸は下がる?

MLBでは、選手会とMLB機構側でもめている。試合数が大幅に減ることが大きな要因だ。レギュラーシーズンの試合は半分ぐらいになるかもしれない。選手の年俸額によって減額率を変える案(税金のように高額の収入の選手ほど減額率が大きい)が出ているが、いずれにしても半減という表現では済まなそうな雲行きである。

しかし、来年以降、162試合とポストシーズンがフルに実施されれば、規制が継続されても選手の減収はさほどでないかもしれない。むろんMLB機構側は減収を理由にまた話し合いを求めることにはなるだろう。

しかし、複数年契約を前提にして選手会側は今年があくまで異例の措置であるとして譲らないだろうし、各球団の収入もケーブルテレビ局との放映権収入が大きい現状は変わらないから、大きな減額を持ちかけることはないだろう。

一方日本のプロ野球では、どうか。今年の試合数は120試合ぐらいやるらしいが、収益は激減するはずだ。MLBのようにまだそういう面の話は出てきていない。しかし、例年の8割がたの試合数を実施したとしても、前述のような事情であれば、球団収益は激減する。となれば、選手のサラリーは大幅に減額せざるを得ないだろう。アメリカほど選手会の強硬姿勢があるとも思われないので、早めに話し合いが解決するようにも想像するが。

しかし、それは来年以降も“新しい日常”が続いた場合、この年俸ダウンは一時的なものでなく、相場として下がってしまうだろう。

もちろん複数年契約の年俸は相応に守られるかもしれないが、しかし、契約更改にあたっては球団収益が決定的に減っていることは事実なのだから、成績がよくても、大幅な減俸という事態を受け入れざるを得ない。球団をシブチンとか責められない状況である。

アメリカのように、莫大な放送権料があるわけでもない。往時の巨人戦のような放映権料は存在しないし、各球団は放映権料を収入の柱としたような経営にはなっていない。今、日本の最高年俸は6億円ぐらいだと思うが、それは2億から3億の間ぐらいになるのではなかろうか。もちろん、球団が経営方針を見直して新しい収益の形を見出すことができれば話は別だが、少なくともアメリカのような巨額の放送権料を得るようにできるとは思えない。

新しい日常

これらは、もちろん今の感染拡大の諸規制が続いていくことを仮定した場合の話だ。

しかしその仮定が現実となった場合には、これはいうまでもなく、野球だけの話ではない。スポーツ全般、そして観客の存在があって成り立つ諸々のエンタテインメント全てに共通することである。(むしろ、音楽や演劇といった分野はテレビで放送されるようなものはほんのごくごく一部である。無観客でやることは成立しない。)

ファンも選手も球団関係者も、個人の“新しい日常”だけでなく、プロスポーツの“新しい日常”を受け入れるしかあるまい。

 

 

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